2015年度アジア研究教育ユニット第10回学際融合コロキアム

2015年度アジア研究教育ユニット第10回学際融合コロキアムの風景

第1報告者:川本彩花
報告題目「現代日本における芸術至上主義の受容――クラシック音楽祭オーディエンス調査の分析」
第2報告者:山本耕平
報告題目:「学術ジャーナルの計量分析:社会学の日英米比較を事例として」
場所: KUASU多目的室
参加者:8名
日時: 2016年3月3日

第一報告の川本氏「現代日本における芸術至上主義の受容――クラシック音楽祭オーディエンス調査の分析」は、芸術崇拝の思想とも言うべき芸術至上主義は現代日本においてどのように受容されているのかを、計量的調査データをもとに分析したものである。

近代西欧芸術至上主義の形成にはメディアが重要な意味を持つという先行研究の知見から、メディアを通してクラシック音楽になじんだ人々に芸術至上主義的な志向が見られるのではないかという仮説が立ちうる。その仮説を検証すべく、毎年夏に長野県松本市で開催されている音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(現「セイジ・オザワ松本フェスティバル」)において、2012年に「サイトウ・キネン・フェスティバル松本に関する調査」を実施した。本調査では、観客を対象に調査票を2000票配布、内610票を回収し、分析対象としている。

データ分析結果から、①クラシック音楽番組を視聴してクラシック音楽になじんだ人ほど芸術至上主義的な傾向を強く持つ(したがって、メディアと芸術至上主義との関連性の仮説が支持される) ②家族がクラシック音楽をよく聞く、あるいは、子どもの頃から楽器演奏を経験した人たちには、芸術至上主義の影響を認めない ③人から誘われて参加した人々には芸術至上主義的志向性が高い傾向がある ことが確認された。これらの理由として、①については、身体的が排除されることで音楽消費が個人化し、芸術観が精神的なものとして純化したのではないか ②については、音楽経験が身体化されているため、クラシック音楽に至上の価値があるとはみなしていないのではないか ③については、音楽を受動的に経験した人ほど、クラシック音楽に高い芸術性を見いだす傾向があるのではないか と考えられる。

今回の調査は、音楽フェスティバルの観客に調査対象が限定されたものであったが、今後は調査対象を広げて、現代日本に於ける芸術志向主義の受容について、より一般的な傾向を探る必要があるという課題も示された。議論は、具体的な調査テーマに関するもののみならず、各因子の相関関係を因果関係として解釈することの是非や、提示概念やデータ解釈をめぐるもの等、方法論全般にも及んだ。今後取り組む予定のテーマも紹介され、以後の研究が待たれる報告となった。

第二報告は、山本耕平氏による「学術ジャーナルの計量分析:社会学の日英米比較を事例として」である。日本の社会学がどのような位置にあるのかを明確にすべく、日本、イギリス、アメリカの社会学の相違を、定量的な比較により明らかにしたものである。一般に、アメリカは実証主義傾向が強く、日本でも社会学のアメリカ化が進んでいるというイメージが見受けられるが、果たしてそうなのか。

比較の対象となるのは、各国の社会学における実証主義の強さである。その指標として、①社会学で用いられる方法 ②どのような文献がどれくらい引用される傾向があるか を取り上げ、日英米の社会学学術ジャーナル各2 誌において2012 年に掲載された論文をすべてサンプリングし、引用文献数と、引用文献中の雑誌論文および一般書籍の割合を比較した。その結果、①方法についてはアメリカにおいて経験的研究、とくに計量への指向が強い ②引用文献の数は米英日の順で多く、引用文献中の雑誌論文の割合は米英において日本よりも高い ことが明らかになった。実証主義は計量分析と親和性が高く、一般の読者よりも専門家の説得を重視するため、一般書籍よりも学術論文が引用される傾向が強い。このことから、専門家集団の説得を重視する傾向がアメリカでは強いこと、また、日本の社会学はアメリカ化しているとは言えず、むしろアメリカの社会学が例外的であると言えることが明らかとなった。

その後の議論では、アメリカ社会学の特殊性の理由にも議論が及び、科学性を追求する態度によるのではないかという意見や、移民文化のため共通言語としての数値が重視されたのではないかという、国際調査プロジェクトとも関連した意見もあった。

いずれの報告も、社会(科)学の方法論の議論としても興味深く、2015年度のアジア研究教育ユニット学際融合コロキアムを締めくくるにふさわしい、広がりのある議論を産む報告であった。

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