2016年度アジア研究教育ユニット第一回学際融合コロキアム(2016年6月17日開催)

2016年度アジア研究教育ユニット第一回学際融合コロキアム(2016年6月17日開催)の風景

 第一回KUASU学際融合コロキアムは、小杉亮子研究員と木村純教務補佐員(アジア親密圏/公共圏教育研究センター)の研究報告が行われた。以下、それぞれの研究報告と質疑応答について記す。

 第一報告者:小杉亮子研究員

報告題目:1960年代学生運動の形成過程とその遺産―参加者の生活史から考える

本報告は、世界各国で学生運動が顕著になった1968年に注目し、特に日本の東大闘争から見えてくるその歴史的意義や参加者たちの問題意識を、生活史の手法を用いて解き明かそうとする意欲的な研究である。はじめに、ドイツでの68年学生運動は、反原発運動に見られるように、現代の新しい社会運動と連動していると認識されてきた一方、日本での東大闘争は先行研究において、若者の内省的な「自分探し」として否定的にとらえられる傾向にあったこと。そして、東大闘争と現代日本の社会運動との連続性が見られないことから、学生運動に参加した若者たちの問題意識やその政治的・歴史的背景は研究関心から切り捨てられてきたのではないかという問題提起が、報告者によってなされた。報告者は、「1960年代学生運動と現在とのあいだに存在する断絶を踏まえつつ、1960年代学生運動参加者の問題意識と運動論の内在的分析をおこなうことによって、その歴史的意義を明らかにする」ことを通して、運動に参加した人びとが、政治運動のような可視的なものでなくとも、生活レベルで「ミクロの次元でいかにフェアに生きるか」ということと真剣に向き合ってきたことを示唆した。そして、このような「目立たない個人の取り組みから見えてくるものは何か」という新たな問いも提起された。

 参加者からは、インタビュー対象者の選択方法や、そこから得られた個人の生活史データの代表性に関する質問がなされた。東大闘争に参加していた学生の正確な人数がつかめないため代表性を示すことが難しいこと、また生活史をあつかうため個別性が高いことや、インタビューの同意を得ることも容易ではないなどの諸事情が報告者から説明されたが、44人というインタビュー対象者の数は決して少なくないこともあわせて述べられた。むしろ生活史からこれまで捨象されてきた事実を丁寧にすくい上げるということに本研究の意義があると考えられ、生活史を研究方法として採用する研究者たちにとって、大いに参考になる報告であった。

第二報告者:木村純教務補佐員

報告題目:時間の四辺形

まず報告者から、「時間」を中心軸として世代間の倫理や正義の問題に関心を寄せてきたことが述べられ、世代間にまたがる責任や、それにまつわる葛藤や抗争をどのように考えていけば良いのかという興味深い問題提起が行われた。報告者は現代の原発や産業廃棄物問題が世代をこえて影響するにも関わらず、それらを議論する前提として、目先の利益だけにとらわれ、未来が射程に入っていないことを指摘する。つまり、私たちが現在つきつけられている社会問題は、利己的かつ短期的スパンでの経済的合理性や都合だけで考えてしまう危険があり、後世の人類を苦しませることになるという視点が欠けている。このような「時間」の軸を世代にまたがるものとしてとらえようとする試みは、哲学や宗教などに置いて見られたものの、現実の問題を考慮するとき、「未来」をどのように厳密に定義するのかという課題に直面する。しかしながら、時間を過去―現在―未来というふうに「点」あるいは「直線」として考えるとき、未来はいまここ「現在」に存在していないから、対象化することが難しいという問題が生じる。よって、同質化できない「未来」を考えることを、あきらめてしまうことにつながる。

このような問題意識のもと、報告者が提示したアイデアは、過去・現在・未来という、それぞれに切り離された点のように時間を考えるのではなく、「永遠」という第四の立場にたつことにより、それぞれの時間の同時性を考えることができるというものである。つまり、現在の利益だけを考えるような思考を捨象し、今を過去や未来とのつながりのなかで、同時性を含むようなものとして捉えることにより、公共性を主張する土台をつくりだしうるというものである。

参加者からは、未来だけでなくとも、直近の社会問題においてさえ、被害者への「責任」がとれていないことから、「責任」をとることの難しさが提起された。報告者は、責任のとりようが無いような事象を扱うことの困難さを認めた上で、直線的な時間ではなく、むしろ「永遠」という概念を通して、今の時間も過去と未来を含むものだと考えたときに、違う責任の取り方がありうるのではないかという見解を示した。報告者は、現在に至るまで本土において無視され続けてきた沖縄で起こっている女性/男性に対する性暴力の問題においても言及し、被害者への社会的責任を引き受けていくための新たな視点が必要であることを指摘した。

 報告者の発表を通して、参加者からは日本政府の戦争責任問題などへも議論が発展しうることなどの意見も出され、本研究課題は、今後、さらに注目度が増すことが期待される。

(文責: 辻本登志子)